医工学センター ジュセッペ・ペッツォッティ センター長・学長特命教授

先生の研究分野についてお教えください。
私の主な研究分野は、ラマン分光法と分子医学を融合した「予防分子医学」ともいうべき分野です。
ラマン分光法は、物質にレーザー光を当てて、その物質が何でできているか、どのような状態にあるかを調べる分析方法です。レーザーを照射した際に試料から戻ってくる光には、入射光と異なる波長をもつラマン散乱光が含まれます。物質の分子振動に基づいて出てくる光であり、物質の分子構造により異なるスペクトルを示します。このスペクトルを分析することで、物質の同定や分布などを観察することが可能です。私はそれを「分子のささやき」と呼んでいます。ただしそれらは暗号のような形で出てくるため、解読する技術が必要です。私はこれまで、基礎物質のライブラリ整備と量子力学のアルゴリズムを用いたスペクトルの分光分析技術の開発にも取り組んできました。また、ラマン分光法で用いるレーザーは可視光であるため非侵襲的であり、試料の染色も必要なく、照射するだけで解析することができる画期的な方法です。
このラマン現象は1928年にインドの物理学者C.V.ラマンによって発見され、まもなく100周年の節目を迎えます。記念すべき100周年に向けて、現在、ラマン分光法に関する書籍を執筆中です。海外の出版社から全8冊が刊行される予定です。
分子医学は、アメリカの物理学者であるライナス・ポーリングが、病気の元は分子スケールにあるという分子病の概念を用いて提唱しました。遺伝子やタンパク質、その他の細胞レベルの分子がどのように機能しているのか、そのメカニズムを解析し、病気の原因や発症の仕組みを分子レベルで理解する医学分野です。私はラマン光を通じた「分子のささやき」に耳を傾けることで、様々な病気の予防や早期診断が可能であることに気付きました。病気の発症初期には、生体分子に変化が生じます。ラマン分光法ではこれらの分子の特徴を迅速に測定できるため、わずかな異常を検出することが可能です。つまり、ラマン分光法と分子医学を組み合わせることにより、さまざまな病気の早期発見・予防を実現する新たな医学の可能性を切り拓くことができたのです。例えばパジェットがんという乳がんがあります。非常に診断が難しいがんなのですが、ラマン光による分析により悪性か良性かを即時に判定できる技術を開発しました。また、新型コロナウイルス感染症蔓延の際は、ウイルスの変異株を数分で同定する技術も開発しました。
従来の遺伝子分析であれば数週間程度の日数や高額な費用がかかるものも、ラマン光による分析であれば費用も掛からず短期間での分析ができるのです。また、病気の発症のメカニズムがわかると、どのような薬を作ればよいか提案できます。分子遺伝学的に病気のメカニズムを理解することで、薬の効率的な新規開発にもつながります。
先生は、6分野の博士号をお持ちです。どのようにしたらこれほど多くの分野の研究で実績をあげることが可能なのでしょうか。
私は若い頃から勉強することが好きで、「自分の知らないことを知りたい」という強い好奇心を持っていました。ラマン分光法は幅広い分野に応用できる技術です。「分子のささやき」は、さまざまな情報を教えてくれるので、それらを一つひとつ理解し、多くのことを知りたいという思いが、私の研究の原動力になっています。これまでラマン分光法を用いて、さまざまな学問分野の研究に取り組んできました。工学、医学(整形外科学・免疫学)、理学、農学、薬学の博士号を取得し、現在は、広島大学で学生として歯学博士の学位取得を目指して論文を執筆中です。これほど多くの学位を取得しましたが、学びを終えるつもりはありません。これまでわからなかったことが少しずつ明らかになり、新たな発見につながっていく過程に、学ぶことの楽しさと大きな魅力を感じているからです。そして、自分が得た学びをできる限り文章として書き残し、次の世代に残していきたいと考えています。
取り組まれている研究テーマに関して、今後の展望などがございましたらお教えください。
私が取り組んでいる研究テーマは、多岐にわたります。 その中で「口腔内の虫歯菌と歯周病菌の研究」を紹介します。口腔内には多種多様な細菌が存在していますが、その中には脳梗塞の発症リスクを高める特定の虫歯菌が存在することが明らかになっています。この菌を保有する人は脳梗塞を起こす可能性が高く、日本人で該当する人は約13%と、決して少なくありません。また、歯周病菌は歯と歯茎の間に存在し続けますが、細胞外小胞(エクソソーム)を放出することが分かっています。その中に含まれる有害物質は、血液中に入り込んで全身へ運ばれます。特に脳へ到達すると、脳細胞に影響を与え、アルツハイマー型認知症の原因とされるアミロイドβの生成・蓄積を促進させます。

これらの神経疾患リスクの低減を目指し、技術の開発と研究を進めています。例えばラマン分光法を活用することで、脳梗塞リスクに関わる特殊なタンパク質(CNMタンパク)を持つ菌かどうかを迅速に判別することができます。つまり、個人のリスク評価に基づいた予防医療を実践できるのです。さらに企業との共同研究により、新しいバイオセラミック素材を活用した歯磨きツールやマウスピースなどの製作にも取り組んでいます。口腔内環境を改善し、口腔病原体から脳を守ることで、アルツハイマー型認知症をはじめとする神経疾患の予防につなげることを目指しています。今後は臨床試験を実施し、実用化に向けた検証を行う予定です。
研究への思いや後輩へのメッセージをお願いします。
私のモットーは、ライナス・ポーリングの「良いアイデアを生み出すためには、数多くのアイデアを出し、その中から間違ったものや面白くないものを捨てていく」という考え方です。この姿勢を、若い研究者の皆さんにもぜひ伝えたいと思っています。自分の考えがばかげているかもしれないと思う瞬間があったとしても、ためらう必要はありません。そして、実験で予想とは異なる結果が得られたときこそ、そのデータを大切にしてください。特に、教科書やこれまでの常識とは異なる結果には、新しい発見や発明につながる大きな可能性があります。「これはおかしいかな」と感じた瞬間に諦めるのではなく、自分自身を信じて探究を続けて、新たな発見や発明のきっかけにしてほしいです。
- 2026年6月取材・撮影
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